高松地方裁判所 平成7年(行ウ)6号 判決 1997年1月20日
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は控訴人の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 (主位的)
被告は原告に対し、金三七四九万九八五九円及びこれに対する平成八年五月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 (予備的)
被告は、原告に対し、金二九一一万七二八〇円及びこれに対する平成六年一二月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 主位的請求関係
1 請求原因
(一) 原告の経歴及び役職
(1) 原告は、昭和三十六年四月に香川県に理科教論として採用されて以降、被告から平成六年一二月二〇日付けで失職通知を受けるまで、香川県の中学校の理科の教師として約三四年勤務してきた。
(2) 原告は、右期間中の昭和六二年四月から平成元年三月まで、香川県中学校体育連盟バトミントン競技部長、四国中学校体育連盟バトミントン競技専門部長の各役職にあった。
(二) 自動車交通事故の発生及び裁判経過
(1) 原告は、昭和六三年一一月二六日午後一時一五分ころ、普通乗用自動車を運転して、香川県綾歌郡宇多津町大字東分四七三番地先の信号機による交通整理の行われている交差点を北方から南方に向かい直進しようとした際、折から同交差点を西から東へ直進してきた横井智実(当時二三歳)運転の普通(軽四)乗用自動車と衝突する交通事故に遭った。右事故により、横井智実は全治約七日間を要する左大腿・下腿打撲等の、その同乗者横井香奈(当時三歳)は全治約三日間を要する左肩打撲の各傷害を負った(以下「本件事故」という。)。
(2) 高松地方検察庁検察官は、本件事故につき原告に赤信号を看過した過失があるとして、平成元年一〇月三一日、原告を業務上過失傷害罪により高松地方裁判所丸亀支部に起訴した。原告は、右裁判において、自分は青色信号に従い交差点に進入しており、横井智美こそが赤色信号で交差点に進入してきたものであるとして争ったが、平成二年一二月二七日、禁錮四月・二年間刑執行猶予の有罪判決を受け、原告はこれに対し控訴したが、平成四年九月二二日に控訴を棄却され、さらに上告したが、平成六年一二月一四日に上告を棄却されて、右有罪判決が確定した。
(三) 原告の失職
被告は、右有罪判決が確定したことにより、原告が地方公務員法二八条四項及び一六条二号により当然失職となったとして、平成六年一二月二〇日付けで原告に対し失職の通知をした。
(四) 右失職の無効
(1) 本件事故当日は土曜日で、正規の授業は午後零時三〇分には終わったが、同日は午後五時からバトミントン部の特別練習があったため、原告は、右部活動に参加する生徒を引率するため午後三時までに学校に戻る必要があった。本件事故は原告が午後零時三〇分から午後三時までの間に、昼食に行こうとして自動車を運転していた際に発生したものであるが、原告は右部活動に関し事前に「部活動練習許可願」を作成し、校長の許可を得ていたから、右部活動は公務に該当する。したがって本件事故は公務と公務の間の待機期間中に発生したものというべきであり、公務若しくはこれに準ずる行為遂行中の交通事故と評価すべきであって、香川県の職員の分限に関する手続及び効果等に関する条例(昭和二六年一二月二五日条例第三九号。以下「特例条例」という。)五条一項が適用されるべき場合であった。したがって、原告については特例条例五条一項により当然失職を免れるべき情状が存するか否かについての分限手続がなされなければならないにもかかわらず、原告は分限手続はおろか告知、聴聞の機会すら与えられていないから、そのような機会を与えずになされた本件失職手続には、重大な手続違反の違法があり、無効である。
(2) 仮に本件事故が公務若しくはこれに準ずる行為遂行中の交通事故でなかったとしても、原告については特例条例五条一項が準用ないし類推適用されるべきであるから、いずれにしても原告に対し告知、聴聞の機会が与えられるべきであり、そのような機会が与えられずになされた原告の失職には重大な手続違反の違法があり、無効である。
(3) 仮に公務外の事故の場合に、特例条例五条一項の準用ないし類推適用ができないとすれば、同条五条一項は、公務外の事故を除外している点で地方公務員法二八条四項の立法趣旨に反し、立法裁量権を逸脱したものであって無効であると解すべきであり、右条項の適用は排除されるべきであるから、その結果公務外の交通事故についても公務中と同様の取扱いがなされるべきである。
(五) したがって、原告は失職通知を受けた平成六年一二月二〇日以降定年まで香川県中学校教師としての地位を有し、被告に対し、以下のとおり、給与等の請求権及び退職手当請求権を有する。
(1) 給与請求権七四四万一〇八二円
原告最終月額給与である四八万五二八八円の(原告が失職通知を受けた平成六年一二月二〇日以降定年退職予定日である平成八年三月末日までの)一五か月と三分の一分の給与
(2) 賞与請求権二五二万三四九七円
右最終月額給与の5.2か月分
(3) 損益相殺 一五八万二〇〇〇円
原告は、失職後、被告により一五八万二〇〇〇円を受領しているので、これを損益相殺する。
(4) 退職手当請求権
二九一一万七二八〇円
原告は香川県職員退職手当条例(昭和二九年一〇月一日条例第三八号。以下「退職手当条例」という。)三条ないし四条の二の規定により、前記最終月額給与の六〇倍に相当する退職手当の受給資格を有していた。
(六) よって、原告は、被告に対し、右給与等の合計金三七四九万九八五九円及びこれに対する定年退職予定日の後である平成八年五月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
2 請求原因に対する認否
請求原(一)(二)(三)の事実は認める。同(四)(五)の主張は争う。
二 予備的請求関係
1 請求原因
(一) 前記一1(一)ないし(三)と同旨。
(二) 原告は、失職の時点で、前記一1(五)(4)のとおり、退職時の月額給与四八万五二八八円の六〇倍に相当する金二九一一万七二八〇円の退職手当の受給資格を有していたが、退職手当条例六条一項二号により、これが支給されなかった。
(三) 退職手当条例六条一項二号は、以下のとおり、憲法二五条、一四条、二九条一項に違反し、無効であり、原告は、被告に対し、右退職手当を請求する権利を有する。
(1) 憲法二五条違反
退職手当条例六条一項二号は、地方公務員たる香川県職員が禁錮以上の刑に処せられ当然失職した場合には、すべて一切の退職手当を支給しない旨定めているが、本来は、当該職員の勤続年数、受給資格のある退職手当の金額と、禁錮以上の刑に処せられた公訴事実の罪名、罪責、刑の軽重、刑執行猶予言渡の有無等の具体的事情との相関関係から、個別的に退職手当の支給の有無及び金額を決定すべきである。
原告は、勤続年数約三四年の理科教師であり、その経歴、役職を見ても、格別の過誤もなく順調に職務を全うしてきており、本件事故に遭遇せずにそのまま無事退職していれば、約二九〇〇万円にのぼる退職手当を受給する資格を有していたのであり、交通事故の内容も前記のとおり軽微なものである。したがって、本件事故を起こしたことのみをもって原告が退職手当請求権を一切喪失するとする退職手当条例六条一項二号は、著しく社会正義に反し、憲法二五条の生存権の規定に違反する。
(2) 憲法一四条違反
一般に、民間企業は、その就業規則その他の社内規定で、その社員が本件のような交通事故を惹起し、禁錮以上の刑に処せられたとしても、そのことのみをもって約二九〇〇万円にのぼる退職金請求権を喪失するとは定めておらず、被告は、退職手当条例六条一項二号により、地方公務員である香川県職員の退職手当につき、民間企業の就業規則等と比較して不平等な扱いをしており、これには合理的理由がないから、憲法一四条の平等原則に違反する。
(3) 憲法二九条一項違反
退職手当は、通常、算定基礎賃金に勤続年数別の支給率を乗じて算定されるものであり、一般に「賃金の後払い」としての性格を有しており、退職理由の如何を問わず退職時に当然に支払われるべきものであるから、当然失職した者に退職手当を一切支給しない旨定める退職手当条例六条一項二号は、憲法二九条一項に違反する。
(四) よって、原告は、被告に対し、退職金二九一一万七二八〇円及びこれに対する失職の日である平成六年一二月二〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
2 請求原因に対する認否
請求原因(一)の事実及び原告が退職手当条例三条ないし四条の二の規定による退職手当の支給を受けていない事実は認め、その余の主張は争う。
3 抗弁
原告は、次のとおり、退職手当条例八条所定の退職手当を受給している。
平成七年四月二八日
一九万八八八〇円
同年六月二日 一一万七五二〇円
同月一七日 一二六万五六〇〇円
合計 一五八万二〇〇〇円
4 抗弁に対する認否
抗弁事実は認める。
第三 証拠関係
本件訴訟記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
第一 主位的請求について
一 請求原因(一)ないし(三)は、当事者間に争いがない。
二 そこで、同(四)について判断する。
1 同(四)(1)について
(一) 原告本人尋問の結果によれば、本件事故当日は土曜日で正規の授業は午後零時三〇分には終わっており、原告は、その後、別の中学校でバトミントン部の顧問をしていた女性教師と坂出市の体育館で待ち合わせをし、同女を自己の運転する車に同乗させて一緒に昼食に行く途中に本件事故に遭遇したこと、原告は同日午後五時から数名の生徒を引率してバドミントン部の特別練習に参加する予定であり、午後三時ころまでに学校に戻る必要があったことが認められる。
(二) 原告は、本件事故は右の特別練習までの待機時間中に発生したものであるから公務中の事故であると主張するが、公務に該当する「待機」とは、公務員が時間的・場所的な拘束を受けるものの直接業務には携わっていない状態をいうものと解されるところ、右認定のとおり、原告は本件事故当日、正規の授業終了後は任命権者(職務命令権者)から何らの時間的・場所的拘束を受けていないし、また、仮に右のバトミントン部の特別練習が公務に該当するとしても、本件事故との間には時間的にも場所的にも大きな隔たりがあるから、本件事故を右「待機」時間中のものと認めることはできない。よって、本件事故が公務中のものであることを前提とする(四)(1)の主張は採用できない。
2 同(四)(2)(3)について
原告は、特例条例五条一項が当然失職の例外を公務遂行中の交通事故に限定していることが地方公務員法二八条四項の趣旨に反すると主張するが、地方公務員法二八条四項は、地方公共団体の公務に対する住民の信頼を確保する趣旨から同法一六条各号(第三号を除く。)の一に該当する場合には、原則として地方公務員は失職するものと規定しており、ただ各地方公共団体の自治を尊重して住民の意思により条例で特別の定を置くことを認めているにすぎないから、地方の実情に応じ、条例で禁錮以上の刑に処せられても失職しない場合として公務遂行中の交通事故の場合に限る旨定めたとしても、同法の趣旨、目的に反するものとはいえず、原告の右主張は採用できない。
3 なお、請求原因(四)の(1)ないし(3)の主張はいずれも本件において原告に告知、聴聞の機会が与えられなかったことを問題とするもののようであるが、行政手続において告知聴聞の手続を履践するか否かは、これを定めた法令上の根拠がない限り、行政庁の裁量に委ねられているものと解するのが相当であるところ、本件では条例上対象者に告知聴聞の機会を与える明文の規定はないのみならず、これを与えるべき趣旨もうかがわれないから、対象者にこれを権利として保障しているものとは解されない。また、原告本人尋問の結果によれば、原告が本件事故について事情聴聞を受けている事実が認められるのであって、公務遂行中の事故であったか否か等についての県の認定過程に不公正な点は認められない。したがって、(四)の(1)ないし(3)の主張はいずれにしても理由がない。
三 よって、その余の点について判断するまでもなく、原告の主位的請求は理由がない。
第二 予備的請求について
一 請求原因(一)及び原告が退職手当条例三条ないし四条の二の規定による退職手当の支給を受けていない事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、同(三)の主張について判断する。
1 憲法二五条違反の主張について
憲法二五条は、個々の国民に具体的権利を保障したものとは解されないから、これを前提とする原告の主張は採用できない。
2 憲法一四条違反の主張について
退職手当条例六条一項二号は、公務に対する住民の信頼を確保することを目的として、当然失職又はこれに準ずる退職となった地方公務員に対し一般の退職手当を支給しないことを定めたものであるところ、公務員の地位の特殊性、職務の公共性及び住民一般の社会的感覚等に照らせば、右目的及び内容に特段の不合理性は認められず、地方公務員を法律上このような制度が設けられていない私企業労働者に比べて不当に差別したものとはいえない。したがって、原告の右主張も採用することはできない。
3 憲法二九条一項違反の主張について
公務員の退職手当の支給をどのようにするかは法律及び条例に委ねられており、退職手当に賃金の後払い的性格が認められるとしても、法による退職手当の支給基準を充足する前に公務員に具体的権利として退職手当請求権が発生しているものと解することはできないから、これを前提とする原告の主張は失当である。
4 したがって、請求原因(三)はいずれも失当である。
三 よって、原告の予備的請求は理由がない。
第三 結論
以上によれば、原告の各請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官山脇正道 裁判官橋本都月 裁判官佐藤正信)